村上龙
村上龙(1952年2月19日—)是日本小说家、电影导演,本名为村上龙之助。
村上 龙 | |
---|---|
日文假名 | むらかみ りゅう |
罗马拼音 | Murakami Ryū |
出生 | 日本长崎县佐世保市 | 1952年2月19日
职业 | 小说家、电影导演 |
国籍 | 日本 |
母校 | 武藏野美术大学 |
代表作 | 《接近无限透明的蓝》 |
简历
编辑村上龙出生于日本长崎县佐世保市。在1967年他进入县立佐世保北高中就读,曾加入橄榄球队,但半年后因为无法适应而退出。之后与朋友组成摇滚乐团“腔棘鱼”,一年后解散,村上改加入新闻社。在1969年的夏天,他在高中校园内进行屋顶封锁抗争,结果被无限期停学,隔年(1970年)3月,村上在毕业前又再度成立摇滚乐团,并开始拍摄电影、举办摇滚演唱会,这些过程之后村上改写成小说《69 sixty nine》,于1987年在日本出版。
高中毕业后,村上进入出版社现代思潮社的美术学校就读,但在半年后被退学。两年后(1972年4月)村上进入武藏野美术大学造型学部基础设计科就读。1976年他以《接近无限透明的蓝》(限りなく透明に近いブルー)获得第十九届群像新人文学奖,之后又获得第七十五届芥川龙之介赏;作品中描写失去活力的青年,进行群交及施打麻醉药品等脱离日常生活的情节。至2005年为止,《接近无限透明的蓝》在日本销售超过350万本(包含单行本和文库本)。大江健三郎在分析村上龙取得的巨大商业成功时认为,后者的作品体现了日本年轻一代的思想,但同时“有半法西斯的一面”[1]。
《接近无限透明的蓝》在芥川龙之介赏的评审会议中引起激烈讨论。丹羽文雄、井上靖、吉行淳之介、中村光夫倾向支持,而永井龙男和泷井孝作则极度反对。安冈章太郎投下半票。最后以4.5比2过半数的赞成票结果,让村上龙获奖。
1976年村上与电子琴家高桥田津子(音译,本名:高桥たづ子)结婚。1977年从武藏野美术大学休学。1980年与妻子生下长子村上大轨。1980年10月出版《寄物柜里的婴孩》(コインロッカー・ベイビーズ),该书以当时日本的寄物柜弃婴事件为发想,于1981年获得第三届野间文艺新人奖。
在1980年代,村上龙与村上春树被称为“双村上”(W村上),不过两人并无任何亲戚关系,在工作方面的定位和调性也没有太大的共通点。以这样的称号为背景,两人在1981年出版对谈集《Walk Don't Run》。
1999年11月,村上以金融、经济为主要议题,推出电子杂志(メールマガジン)《JMM》。同年又推出批判日本社会对泡沫经济之反应的图画书《那些钱能买些什么呢》(あの金で何が買えたか)。
2004年发表《工作大未来—从13岁开始迎向世界》(13歳のハローワーク)[2]。以还能自由选择通往大人世界入口道路的“13岁”为目标,列出现实世界中各种工作、职业的实用资讯。同时也间接批判尼特族等新劳动经济学所产生的社会问题。
著作列表
编辑出版日期以日本为主,不包含绘本或其他特别企划作品。
长篇小说
编辑年分 | 中文书名 | 日文书名 | 注记 |
---|---|---|---|
1976 | 《接近无限透明的蓝》 | ‘限りなく透明に近いブルー’(1976年、讲谈社)のち文库 | |
1977 | 《海对岸的战争开始了》 | ‘海の向こうで戦争が始まる’(1977年、讲谈社)のち文库 | |
1980 | 《寄物柜里的婴孩》 | ‘コインロッカー・ベイビーズ’(1980年、讲谈社)のち文库 | |
1983 | 《别担心,我的朋友》 | ‘だいじょうぶマイ・フレンド’(1983年、集英社)のち文库 | |
1985 | 《网球男孩的忧郁》 | ‘テニスボーイの忧郁’(1985年、集英社)のち文库 | |
1987 | 《69 sixty nine》 | ‘69 sixty nine’(1987年、集英社)のち文库 | |
《爱与幻想的法西斯》 | ‘爱と幻想のファシズム’(1987年、讲谈社)のち文库 | ||
1989 | 《莱佛士酒店》 | ‘ラッフルズホテル’(1989年、集英社)のち文库 | |
1991 | 《黑色嘉年华》 | ‘コックサッカーブルース’(1991年、小学馆)のち集英社文库 | |
《超电导夜总会》 | ‘超电导ナイトクラブ’(1991年、讲谈社)のち文库 | ||
1992 | 《IBIZA》 | ‘イビサ’(1992年、角川书店)のち讲谈社文库、角川文库 | |
《长崎荷兰村》 | ‘长崎オランダ村’(1992年、讲谈社)のち文库 | ||
1993 | 《ECSTASY》 | ‘エクスタシー’(1993年、集英社)のち文库 | |
《斐济的侏儒》 | ‘フィジーの小人’(1993年、角川书店)のち文库 | ||
《一杆进洞》 | ‘368Y Par4 第2打’(1993年、讲谈社)のち文库 | ||
《音乐海岸》 | ‘音楽の海岸’(1993年、角川书店)のち讲谈社文库 | ||
1994 | 《昭和歌谣大全集》 | ‘昭和歌谣大全集’(1994年、集英社)のち文库 | |
《五分后的世界》 | ‘五分后の世界’(1994年、幻冬舎)のち文库 | ||
《穿在乳头上的洞》 | ‘ピアッシング’(1994年、幻冬舎)のち文库 | ||
1995 | 《京子》 | ‘KYOKO’(1995年、集英社)のち文库 | |
1996 | 《日向病毒—五分后的世界II》 | ‘ヒュウガ・ウイルス 五分后の世界II’(1996年、幻冬舎)のち文库 | |
《忧郁症》 | ‘メランコリア’(1996年、集英社)のち文库 | ||
《援助交际》 | ‘ラブ&ポップ トパーズII’(1996年、幻冬舎)のち文库 | ||
《初夜 重逢夜 最后一夜》 | ‘はじめての夜 二度目の夜 最后の夜’(1996年、集英社)のち文库 | ||
1997 | 《再婚惊魂记》 | ‘オーディション’(1997年、ぶんか社)のち幻冬舎文库 | |
《奇妙的日子》 | ‘ストレンジ・デイズ’(1997年、讲谈社)のち文库 | ||
《味增汤里》 | ‘イン ザ・ミソスープ’(1997年、読売新闻社)のち幻冬舎文库 | ||
1998 | 《LINE》 | ‘ライン’(1998年、幻冬舎)のち文库 | |
2000 | 《共生虫》 | ‘共生虫’(2000年、讲谈社)のち文库 | |
《希望之国》 | ‘希望の国のエクソダス’(2000年、文艺春秋)のち文库 | ||
2001 | 《死神》 | ‘タナトス’(2001年、集英社)のち文库 | |
《THE MASK CLUB》 | ‘THE MASK CLUB’(2001年、メディアファクトリー)のち幻冬舎文库 | ||
《最后的家族》 | ‘最后の家族’(2001年、幻冬舎)のち文库 | ||
《恶魔传球天使射网》 | ‘悪魔のパス天使のゴール’(2001年、幻冬舎)のち文库 | ||
2002 | 《2days 4girls》, | 2days 4girls 2日间で4人の女とセックスする方法’(2002年、集英社)のち文库 | no |
2005 | 《来自半岛》 | ‘半岛を出よ’(2005年、幻冬舎)のち文库 | |
2010 | 《唱歌的鲸鱼》 | ‘歌うクジラ’(2010年、讲谈社)のち文库 | no |
2011 | ‘心はあなたのもとに’(2011年、文艺春秋)のち文库 | no | |
2012 | 《55岁开始的Hello Life》 | ‘55歳からのハローライフ’(2012年、幻冬舎) | |
2020 | 失之物语 | ‘MISSING 失われているもの’(2020年、新潮社) |
短编集・合写作品集
编辑年分 | 中文书名 | 日文书名 | 注记 |
---|---|---|---|
1986 | 《POST(普普艺术之屋)》 | ‘POST ポップアートのある部屋’(1986年、讲谈社)“ポップアートのある部屋”文库 | |
1986 | 《跑啊!高桥》 | ‘走れ!タカハシ’(1986年、讲谈社)のち文库 | |
《纽约马拉松》 | ‘ニューヨーク・シティ・マラソン’(1986年、集英社)のち文库 | ||
1988 | 《黄玉》 | ‘トパーズ’(1988年、角川书店)のち文库 | |
《村上龙料理小说集》 | ‘村上龙料理小说集’(1988年、集英社)のち文库、讲谈社文库 | ||
1991 | 《你根本不懂爱》 | ‘恋はいつも未知なもの’(1991年、朝日新闻社)のち角川文库 | |
1995 | 《村上龙电影小说集》 | ‘村上龙映画小说集’(1995年、讲谈社)のち文库 | |
1996 | 《蒙妮卡—音乐家之梦、小说家之梦》 | ‘モニカ-音楽家の梦・小说家の物语’(1996年、新潮社)坂本龙一との共著 のち文库 | |
1997 | 《白鸟》 | ‘白鸟’(1997年、幻冬舎)のち文库 | |
1998 | 《一杯葡萄酒的真实》 | ‘ワイン一杯だけの真実’(1998年、幻冬舎)のち文库 | |
2003 | 无译名 | ‘とおくはなれてそばにいて’(2003年、KKベストセラーズ)短篇选集 | |
《到处存在的场所 到处不存在的我》 | ‘どこにでもある场所どこにもいないわたし’(2003年、文艺春秋)文库版刊行时に‘空港にて’に改题 | ||
2007 | 无译名 | ‘特権的情人美食 村上龙料理&官能小说集’(2007年、ベストセラーズ) |
散文・评论集
编辑年分 | 中文书名 | 日文书名 | 注记 |
---|---|---|---|
1987 | 《男人都是消耗品》 | すべての男は消耗品である。Vol.1-Vol.11(1987年-2010年、KKベストセラーズ) | 角川文库 1-2、集英社文库 1、幻冬舎文库 4-9 |
《世界各地的网球男孩》 | テニスボーイ・アラウンド・ザ・ワールド(1987年、讲谈社)のち文库 | ||
1989 | 《大事件》 | ビッグ・イベント(1989年、讲谈社)のち文库 | |
1991 | 《村上龙散文集 1976-1981》 | 村上龙全エッセイ 1976-1981.1991.5.讲谈社文库 | |
《村上龙散文集 1987-1991》 | 村上龙全エッセイ 1987-1991. 讲谈社文库、1991 | ||
1992 | 《龙言飞语》 | 龙言飞语(1992年、集英社)のち文库 | |
1993 | 《给不愿当个“普通女孩”的你》 | “普通の女の子”として存在したくないあなたへ。(1993年、マガジンハウス)のち幻冬舎文库 | |
1996 | 《你不在了之后的东京物语》 | あなたがいなくなった后の东京物语(1996年、角川书店) | |
1998 | 《寂寞国的杀人》 | 寂しい国の杀人(1998年、シングルカット社) | |
《Physical Intensity '97-'98 season》 | フィジカル・インテンシティ 1-5(1998年-2002年、光文社) | ||
1999 | 《从寂寞国朝向遥远的世界足球》 | 寂しい国から遥かなるワールドサッカーへ(1999年、ビクターエンタテインメント・ビクターブックス) | |
2000 | 《任谁都可以的恋爱》 | 谁にでもできる恋爱(2000年、青春出版) | |
2001 | 《无用的女人》 | ダメな女(2001年、光文社) | |
2002 | 《为了避免被骗,所以我学经济》 | だまされないために、わたしは経済を学んだ 村上龙weekly report(2002年、日本放送出版协会) | |
《恋爱的等级》 | 恋爱の格差(2002年、青春出版社) | ||
《鲔鱼,日本经济到个体,再到你自己》 | マクロ・日本経済からミクロ・あなた自身へ 村上龙weekly report’2002年、日本放送出版协会) | ||
2003 | 《自杀不如做爱》 | 自杀よりはSEX 村上龙の恋爱・女性论(2003年、KKベストセラーズ)エッセイ选 | |
2006 | 《我在撒娇吗?27岁的上班女郎》 | わたしは甘えているのでしょうか?27歳・OL(2006年、青春出版社)のち幻冬舎文库 | |
《村上龙文学的散文集》 | 村上龙文学的エッセイ集(2006年、シングルカット社) | ||
2007 | 案外、买い物好き(2007年、幻冬舎)のち文库 | ||
2008 | それでもわたしは、恋がしたい 幸福になりたい お金も欲しい(2008年、幻冬舎) | ||
2009 | 《兴趣无用论》 | 无趣味のすすめ(2009年、幻冬舎)のち文库 | |
2010 | 逃げる中高年、欲望のない若者たち (2010年、ベストセラーズ) | ||
2012 | 樱の树の下には瓦砾が埋まっている(2012年、ベストセラーズ) |
对谈、访谈、书信集
编辑年分 | 中文书名 | 日文书名 | 注记 |
---|---|---|---|
1977 | 《中上健次 v.s. 村上龙 我们的船,在浓雾中,解开了缆绳》 | 中上健次vs村上龙 俺たちの船は、动かぬ雾の中を、缆を解いて(1977年、角川书店) | 之后在发行文库版本时书名改为《爵士与炸弹》(ジャズと爆弾,1982年1月,角川书店出版) |
1981 | 《Walk Don't Run》 | ウォーク・ドント・ラン(1981年、讲谈社) | 与村上春树合著 |
1985 | 《EV.Cafe 超进化论》 | EV.Cafe 超进化论(1985年、讲谈社) | 与坂本龙一合著 |
1988 | 《Ryu's Bar 气氛还可以的夜晚》 | Ryu's Bar 気ままにいい夜(1988年、讲谈社) | 同名电视节目的对谈集,村上龙和 Ryu's Bar 工作人员合著 |
1991 | 《把世界当作我们的游乐场》 | 世界をボクらの游び场に(1991年、讲谈社) | |
1992 | 《朋友啊,来日在相逢》 | 友よ、また逢おう(1992年、角川书店) | 书信集、与坂本龙一合著 |
1994 | 《神存在于细节》 | 村上龙+椹木野衣 最新対论 神は细部に宿る(1994年、新浪漫社) | 与椹木野衣合著 |
1995 | 《从超能力到能力》 | “超能力”から“能力”へ 宇宙的な未知の力を、身近なソフトウェアに,(1995年、讲谈社) | 与山岸隆合著 |
1997 | 《RYU'S俱乐部—不是“伙伴”的朋友》 | RYU'S倶楽部-“仲间”ではなく友人として(1997年、毎日新闻社) | |
1998 | 《如果过了做梦的年纪 村上龙 v.s. 女高中生51人》 | ‘梦见るころを过ぎれば 村上龙vs.女子高生51人’(インタビュー集), メディアファクトリー, 1998年6月 | |
《忧郁与希望的互联网》 | 忧郁な希望としてのインターネット(1998年、メディアファクトリー)インタビュー | ||
1999 | 《村上龙对谈集 生命中难以承受的骚莎舞》 | 村上龙対谈集 存在の耐えがたきサルサ(1999年、文艺春秋) | |
《最前线 THE FRONT LINE》 | 最前线 THE FRONT LINE(1999年、ラインブックス) | ||
2000 | 《为社会,为别人,当然同时也为自己》 | 世のため、人のため、そしてもちろん自分のため Rie & Ryu,e‐mails(2000年、日本放送协会) | 书信集、与藤木理惠的电子邮件通信集 |
2001 | 《“教育崩坏”这个谎言》 | “教育の崩壊”という嘘(2001年、日本放送出版协会) | |
《对立与自立 结构改革的衍生品》 | 対立と自立 构造改革が生み出すもの(2001年、日本放送出版协会) | ||
《收缩的世界,闭塞的日本 后911时代》 | 収缩する世界、闭塞する日本 Post September eleventh(2001年、日本放送出版协会) | ||
2002 | 《日元贬值+通货膨胀=黎明抑或恶梦?》 | 円安+インフレ=夜明けor悪梦?(2002年、日本放送出版协会) | |
《文体与传球的精准度》 | 文体とパスの精度(2002年、集英社) | 书信集、与中田英寿的电子邮件通信集 | |
2003 | 会社人间の死と再生 ダメな会社と心中しないための戦略とは?(2003年、扶桑社) | ||
《启蒙宣言》 | 启蒙的なアナウンスメント(2巻)(2003年、日本放送出版协会) | ||
2004 | 《人生成功者的定义和条件》 | 人生における成功者の定义と条件(2004年、NHK出版) | |
2006 | 《凝视“个体”的对谈》 | “个”を见つめるダイアローグ(2006年、ダイヤモンド社) | |
2007 | カンブリア宫殿 村上龙×経済人(2巻)(2007年-2008年、日本経済新闻出版社) |
绘本
编辑年分 | 中文书名 | 日文书名 | 注记 |
---|---|---|---|
1989 | 友达のラ リ ル レ ロ(1989年、角川书店) | 绘图:安井须磨子 | |
1996 | 《神奇的珍妮佛》 | すてきなジェニファー(1996年、新书馆)絵:山本容子 | 绘图:山本容子 |
1999 | 《那些钱能买什么呢—泡沫狂想》 | あの金で何が买えたか バブル・ファンタジー(1999年、小学馆) | 绘图:滨野由佳 |
2000 | ストレイト・ストーリー(2000年、集英社) | 绘图:滨野由佳 | |
同名映画(监督:デイヴィッド・リンチ)の絵本化 | |||
2001 | 《投资才有希望》 | おじいさんは山へ金储けに 时として、投资は希望を生む(2001年、日本放送出版协会) | 绘图:滨野由佳 |
2003 | 《工作大未来—从13岁开始迎向世界》 | 13歳のハローワーク(2003年、幻冬舎) | 意为“13岁的Hello Work”,绘图:滨野由佳 |
ポストマン(2003年、NHK出版) | 绘图:滨野由佳 | ||
2006 | 《盾》 | シールド(盾)(2006年、幻冬舎) | 绘图:滨野由佳 |
其它
编辑- 1978年
- 《亭午映像,夜半话语》(真昼の映像・真夜中の言葉,摄影日志、访谈),讲谈社,1979年1月31日
- 1982年
- 《芥川赏全集 第11卷》,文艺春秋,1982年12月
- 1983年
- 《别担心,我的朋友 电影幕后》(ビートルズってなんだ?―53人のマイ・ビートルズ,摄影日志、访谈),CBS SONY,1983年4月10日
- 1984年
- 《悲伤的热带》(悲しき熱帯),角川书店(文库),1984年9月10日初版
- 1988年8月推出单行本时,原文书名改为《Summer in the City》
- 1988年
- 《快乐的网球讲座》(快楽のテニス講座,网球教学书籍),讲谈社,1988年11月
- 1989年
- 《莱佛士酒店的风景》(シナリオ ラッフルズホテル,电影幕后),集英社,1989年9月(作者:村上龙、野泽尚)
- 1990年
- 《男人都是消耗品2》(すべての男は消耗品である。Vol.2),KK Best Sellers,1990年5月5日
- 1991年
- 《村上龙散文集 1982-1986》(村上龍全エッセイ 1982~1986),讲谈社(文库),1990年8月15日
- 《西波内—遥远的古巴》(シボネイ 遥かなるキューバ,有声书),主妇之友社,1991年10月
- 1992年
- 《黄玉的诱惑》(トパーズの誘惑,电影幕后、对谈集)
- 《朋友啊,来日在相峰》(友よ、また逢おう,书信集)
- 《男人都是消耗品3》(すべての男は消耗品である。Vol.3,散文)
- 《西装、口红与秘密通信》(セビロとルージュと秘密の手紙,短篇+明信片)
- 1993年
- 《新世界的节奏 快乐的古巴音乐指南》(新世界のビート 快楽のキューバ音楽ガイド,古巴音乐导览书)
- 1995年
- 《男人都是消耗品4》(すべての男は消耗品である。Vol.4,散文)
- 《为了在世纪末一人散步》(世紀末を一人歩きするために,散文引用集)
- 1996年
- 《京子的轨迹》(KYOKOの軌跡 神が試した映画,电影幕后、对谈集)
- 1997年
- 《村上龙自选小说集1 供作消费的青春》(村上龍自選小説集1 消費される青春)
- 《村上龙自选小说集2 寻找他人的女人们》(村上龍自選小説集2 他者を探す女達)
- 《村上龙自选小说集3 短篇预言》(村上龍自選小説集3 寓話としての短篇)
- 《村上龙自选小说集4 来自破坏的突破》(村上龍自選小説集4 破壊による突破)
- 1999年
- 《那些钱能买什么呢—泡沫狂想》(あの金で何が買えたか バブル・ファンタジー,绘图:滨野由佳)
- 《JMM Vol.1 序幕 日本所选择之路》(JMM Vol.1 プロローグ 日本の選択した道)
- 《JMM Vol.2 思考雇用问题 景气与个人的幸福感》(JMM Vol.2 雇用問題を考える 景気と個人の幸福感,短篇集)
- 2000年
- 《JMM Vol.3 货币会说话 美丽的汇兑市场的魔力》(JMM Vol.3 通貨を語る 美しき為替市場の魔力)
- 《共生虫》
- 《希望之国小说采访笔记》(「希望の国のエクソダス」取材ノート)
- 2001年
- 《男人都是消耗品6》(すべての男は消耗品である。Vol.6,散文),KK Best Sellers,2001年4月
- 《成为电子邮件高手》(eメールの達人になる)
- 2003年
- 《男人都是消耗品7》(すべての男は消耗品である。Vol.7,散文)
- 2005年
- 《香蕉模式》(散文,男人都是消耗品7)(ハバナ・モード(エッセイ、すべての男は消耗品である。 Vol.8))
- 2006年
- 《七年来关于日本经济的疑问》(日本経済に関する7年間の疑問)
- 《第一次的文学 村上龙》(はじめての文学 村上龍)
作品电影化、舞台化等等
编辑电影
- 接近无限透明的蓝(1979年、导演・编剧:村上龙)
- 别担心,我的朋友(1983年、导演・编剧:村上龙)
- 莱佛士酒店(1989年、导演:村上龙、草案:奥山和由、编剧:野沢尚)
- 黄玉トパーズ(1992年、原案・编剧:村上龙)
- 京子KYOKO(1996年、导演・编剧:村上龙)
- 援助交际ラブ&ポップ(1998年、导演:庵野秀明、编剧:萨川昭夫)
- 再婚惊魂记(2000年、导演:三池崇史、编剧:天愿大介)
- 跑啊!高桥走れ!イチロー(2001年、原作‘走れ! タカハシ’、导演:大森一树、编剧:丸山昇一・大森一树)
- 昭和歌谣大全集(2002年、导演:篠原哲雄、编剧:大森寿美男)
- 69 sixty nine(2004年、导演:李相日、编剧:宫藤官九郎)
- 来自半岛‘半岛を出よ’が韩国で、‘コインロッカー・ベイビーズ’がアメリカにおいて映画化の予定
电视剧
- 最后的家族(2001年、脚本:村上龙)
- 55岁开始的Hello Life(2014年、原作:村上龙)
广播剧
- 寄物柜里的婴孩(1981年、演出:村上龙)
- ハワイアン・ラプソディ(1984年)
舞台
游戏
- 五分后的世界五分后の世界(2001年、プレイステーション2、メディアファクトリー)
获奖记录
编辑注释与资料来源
编辑外部链接
编辑- (日语)Japan Mail Media (页面存档备份,存于互联网档案馆) - 村上龙担任主编的免费电子杂志
- (日语)RVR: Ryu's Video Report (页面存档备份,存于互联网档案馆) - 村上龙透过网络播送的报导节目
- (日语)十三岁的 Hello Work 官方网站 (页面存档备份,存于互联网档案馆)